SRAジャパンは、2024年1月の能登半島地震から、多くの方から寄付金をお預かりし、関係機関と連携しながら、被災された日本料理 富成の冨成寿明さんが続けてこられた炊き出しを支援してきました。最近では、災害直後の「命をつなぐ糧」から、「心を元気にする食」に支援のフェーズが変化してきています。
そのため、心の栄養に加え、飲食店やコミュニティを応援することをテーマに、地域のみなさまにスイーツを楽しんでいただくイベントを2024年12月19日に輪島で開催しました。
その際に、冨成さんと、スイーツを提供されたシェフパティシエの加藤峰子さん、平瀬祥子さんにお話を伺いました。
【1】日本料理 富成 冨成寿明さん「あの日から1年。今思うこと」
【2】シェフパティシエ 加藤峰子さん「支援の新しい形を共同でつくる」 <近日公開予定>
【3】シェフパティシエ 平瀬祥子さん「輪島での活動に参加して」<近日公開予定>
インタビュー:日本料理 富成 冨成寿明さん
「あの日から1年。今、思うこと」
冨成寿明さん
日本料理 富成 (石川県輪島市町野町)店主
山で山菜を採り、海や川で魚を釣り、父と料理することが楽しみだった幼少期。料理人の道に進むため大阪の専門学校を卒業後、大阪の料亭や京都のホテルで修行。その後、地元の輪島に戻り、2008年に父親の仕出し店を継ぐ。2013年「日本料理 富成」に業態を変更。2018年には「町野川再生プロジェクト」を立ち上げ、環境保全や地域活性化の取り組みも精力的に行ってきた。「ミシュランガイド北陸2021」1つ星&グリーンスターを獲得。2024年1月、令和6年能登半島地震、9月 令和6年奥能登豪雨に被災し、7月末まで炊き出しを続ける。現在は、イベントや講演活動を行いながら、事業の再開を模索している。日本サステナブル・レストラン協会加盟店。
9月の豪雨のあと、前を向く心が折れた
9月の水害の直後の輪島市の町野川。冨成さんのお店のすぐ近くを流れる。(冨成さんのインスタグラム投稿より)
– 被災されてもうすぐ1年になりますね。9月には水害もあり。本当に大変な1年だったと思います。1月から7月まで続けてこられた炊き出しも終了し、今の心境はいかがですか?
そうですね、今、一番考えているのは、これからのことです。自分のお店を再建することについてですが、すごく不安があります。再建してお客さんが来てくれるのかとか、実際に自分たちの生活がそれで成り立つのか。
地震だけだったら、まだそれほど不安はなかったんです。でも9月の水害で、地元の地域の被害ももちろんですが、今までやってきた、川の保全活動など地域の環境を復活させる取り組みが、1からやり直しというよりも、本当にマイナスに戻ってしまった。そのショックも大きかったです。
お店の再建を考えても、まず食材が手に入りにくいですし。生産者も減っている状況で、果たしてこのままお店を再建していいのかという不安が、今は一番大きいです。
店を再建するための資金について考える日々
震災前に改装工事を始めた店舗。カウンターに立ち、お客様と会話しながら食事を提供する形にこだわりたいと話して下さった。(2024年7月撮影)
再建するにもやっぱり資金とかかかりますしね。被災したのは、ちょうど銀行さんから借り入れをする直前のタイミングだったんです。
借りる前だったというのは、不幸中の幸いというか。でも、今後、資金を借りないで、再建を諦めるということになれば、これまで支払った自己資金が全部無駄になってしまいます。
僕の場合は、お店を改装中だったので、再建に対する地震の補助金が対象外なんです。再建は自己資金だけで行わなければならないという、非常に苦しい状況になっています。
なおかつ自宅も建て直さなきゃいけない。その辺もどうするのか。仮に、再建しないという決断をしてしまったらどうなるのか?ということが常に頭にあります。
家族の生活と将来を考えた時にベストな選択とは
冨成さんの自宅前にて。山に囲まれ、川が流れる自然豊かな場所。(2024年7月撮影)
今、子どもたちと妻は大阪にいて、妻の実家に暮らしていますので、家賃がかからないで生活ができているので助かっています。
でも、子どもたちは人口の多い都会で、お友達もいっぱいで、習い事も行きたいところを選べて、楽しく生活している。そんな中で、僕がお店を再建するから、輪島に戻ってきてというのが、良いのかどうか。本人たちは、戻ってもいいよって言ってくれてるんですけど。
子供たちの将来を考えた時に,子どもたちにとってそれがベストな選択かどうか、正直、父親としては自信が持てなくて。こっちの田舎の自然を体験するというだけなら、普段は大阪に生活して、夏休みや冬休み、春休みで体験できるということもできるので。
そういった、自分の思いだけじゃなく、家族のことも含めると、心がかなり苦しくなってしまうところがあって。 そういう意味で水害が、僕の中では大きかった。
1年後、2年後、そして10年後の輪島はどうなっているか
輪島朝市のあった場所。かつての活気あふれる観光名所が、災害を経て更地に。(2024年12月撮影)
– 先ほどイベントに来場されていた方がおっしゃっていましたが、水害の後、飲食店は3割ぐらいの方が廃業したり、輪島から出て行かれたそうですね。
そうですね。やっぱり僕たちの商売って人口がいないと成り立たない商売なので、そこがやっぱり今回の水害でさらに人口が減ってしまう結果になってしまったので、他の飲食店の皆さんの廃業という決断はいたしかたないと思っています。
– また一方では、これから復興フェーズに入っていくときに、お客さんが増えて飲食店が忙しくなるという見立てもあるそうですが、そういったことに関して、チャンスというように捉えられませんか?
そうですね。今、飲食店を再開しているところは、復興工事関係者さんの需要をとらえて、しっかり売り上げを上げておられるのは間違いないです。ただ、1年後、2年後ぐらいまではいいかもしれないんですけど、その先が不透明ですね。もう地震の報道も全くされなくなって、ある程度工事も終わって、工事関係者の皆さんが来なくなったとき、たとえば10年後を考えたら、果たしてどうなっているのかっていう不安はあって。そこを考えて、今のうちに能登を出ようと決心する方もいらっしゃいます。
復旧もままならない、能登の現状をたくさんの方に知ってほしい
震災後は、料理は炊き出しとまかないだけを作ってきた冨成さんが、腕をふるってコース料理を手がけたダイニングイベント。SRAジャパンの仲間が手を差し伸べる。東京都練馬区 ジターリア・ダ・フィリッポにて。(2024年11月撮影)
– 最近は、イベントや講演活動も積極的に行っていらっしゃるそうですね。
そうですね。僕、最近関東だったり関西で、イベントとか、講演会をさせていただく機会が結構ありまして、そういった中でお話をすると、能登はすでにだいぶ落ち着いて、復興に向かっているんだと思っていらっしゃる方が結構いらっしゃるんです。
でも実際はまだまだ復旧すらままならない状態で、人口が減り続けて、地元の皆さんは疲弊しているっていう状況が続いています。まずは能登を忘れてほしくない。いっぱい亡くなった方もいらっしゃいますし、 大事な方を失われた方もいらっしゃいますし。
そんな思いがあるので、実際の今のこの能登の状況を、たくさんの方に見ていただきたいです。能登に来ていただけたら、すごく嬉しいです。もちろん観光が復活してからもありがたいですけど、まずは、今の現状を見ていただけるとすごく嬉しいなと思います。
人が集まり、笑顔が生まれることは大事だとあらためて思う
ペイストリーシェフをつとめるレストランFAROでは、3割以上を能登産に切り替えているという、加藤峰子さん(写真左)と、輪島港にて。加藤さんは、能登のために、今、飲食人ができることを模索しているそう。(2024年12月撮影)
– 今日、イベントに参加された方から、そろそろ有料でちゃんとしたサービスやものを取引して、経済をみんなで回せるようなイベントの需要があると伺ったのですが、それについてはいかがですか?冨成さんには、ぜひ中心になってやっていただけたらと思います。
そうですね。今日のように多くの方に来ていただいて、皆さんが笑顔になって帰られるのを見ると、こういうイベントは大事だなって改めて思います。
– そうですね。ぜひまた実現させたいですね。その際は、サポートしていただけると嬉しいです。
そうですね、そのような機会がありましたら、協力します。よろしくおねがいします。
FOOD MADE GOOD PROJECT NOTO-POP UP
FOOD MADE GOOD PROJECT NOTO POP-UPは、これから復興フェーズに入る能登と全国各地の料理人をつなぎ、 能登の飲食店や生産者のみなさまに元気になっていただくことを目指すプロジェクト。現地の飲食店に料理人を派遣してポップアップレストランを開催したり、全国各地で 能登の食材を使ったり、能登の料理人とコラボしたイベントを開催するなど、能登の応援を続けてまいります。
皆様の温かいご支援やご協力をお願いいたします。いっしょに能登を応援しませんか。
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